沖縄こころ旅「浦添城跡・浦添ようどれ」

琉球王国初期の王の墓。ようどれとは夕凪という意味。別名、極楽陵(ごくらくりょう)。

沖縄と京都をつなぐ場所

京都出身の私は16年前に沖縄に移り住み、沖縄の名所巡りを始めた。すると「こうあらねばならない」という正解探しの考えから不思議と解きほぐされ、自分の心に素直になりたいという思いが湧いてくるのだ。
「ここだけ風が強い・・・」
先程までの水分を含んだ布を纏っているようなジトーっとした暑さがすっかり無くなった。ここは、那覇から北へ車で約30分、浦添市の琉球石灰岩の丘陵に立っている浦添城跡。訪れた4月下旬は亜熱帯独特の湿度が顔を出し始めていたが、標高約130mのグスク(城)の頂上に登ると「ゴーゴー」と唸るような音。海からの強い風で湿度を感じなくなっていた。
西側の緩やかな傾斜の向こうには東シナ海の碧い海岸線、晴れた日には慶良間諸島が見えるそうだ。北には北谷町、かすかに白いリゾートホテルが遠望できる。

私が立っている丘陵は、77年前、日米の軍隊が熾烈な戦いをしたところだと聞いた。沖縄戦の始まりの慶良間諸島、米軍が上陸した北谷…あんなにも澄んだ碧い海から戦はやってきた。
緑茂る急斜面、その下の集落、この穏やかな景色のなかに、当時の人たちの想いが染み込んでいる。
周りの方々も観光というより、思いを馳せながら歩いているように見えた。私も…と当時もたくさんの人々が生活していたであろう集落、海へと繋がる道を丁寧に丁寧に見渡した。

77年前、戦がやってきた海の方向を向かいながら当時の集落の様子を思い浮かべた丘陵。

また浦添城跡は首里城の原型ともいわれ、いわば琉球王国の始まりを記憶する場所でもある。目の前の東シナ海は中国や日本、朝鮮を結ぶ交流の海でもあった。「浦添ようどれ」という最も古い王たちの墓と石積みが風の道をつくり心地よさを感じるほどだった。

浦添ようどれにつながる岩盤と石積みでできた通路。ここだけがひんやりとした空気で極楽陵と言われるあの世への想いを感じる。

目を細めて視線を北側に寄せると、約2km先にある嘉数高台公園内の青い展望台が微かに見えた。その下には、沖縄戦で亡くなった地元の方々の慰霊碑とともに、2,536人もの京都出身の兵士たちが眠る「京都の塔」があるのだ。

私は未来への希望を持ち16年前京都からこの地に来た。しかし、兵士たちの気持ちは想像を絶するもの。不安だっただろう、心細かっただろう、寂しかっただろう、せめてもう一度だけでも故郷京都で家族に会いたいと願っただろう…色々想像してみたが、自分から出てくるものは彼らには届かない陳腐な感情でしかなく、ただただ自分の中に、今日、これからも見て知ったことを積み重ねていこうと思った。

浦添城跡は沖縄と京都の繋がりを教えてくれた場所となった。そして、今日は、いろんな時代の沖縄に触れた気がした。

お客様担当 井坂 歩 (いさか・あゆみ)

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