沖縄自家製ウコンの薬用酒

沖縄では、『口にするものは全てが薬である』という考えがあります。

庭に生えている薬草をとっては、お茶にしたり、料理に入れたり、お酒に漬けたりして、「ぬちぐすい」(命薬)として身近に健康素材を取り入れてきました。

そして、ぬちぐすいのもう一つに“薬用酒”があります。島酒(泡盛)に薬草つけて、ちょっと風邪気味のとき、体が疲れているときに飲みます。私(大城美佳)も子どもの頃、飲まされたことがありますが、あまりのまずさに余計に体調が悪くなりそうでした。薬用酒はお酒のようでお酒ではない、各家庭で作るオリジナルの秘酒でした。

漬け酒は家庭料理の延長

 ニンニクはほとんどの家庭で漬けていたんじゃないかな。お酒を飲めない人もいるじゃない、だからニンニクの黒砂糖漬けもあったのよ。そのまま、まるごとよ、バラバラにしないで漬けるの。そうすると、まるごと食べられるのよね。

子どもの頃、熱が出ると、生のフーチバー(ヨモギ)の葉をすり鉢ですって、ガーゼで濾して、飲まされていたわけよ。苦いけど、側に黒砂糖を置いといて、飲み終わったら親が黒砂糖を食べさせてくれるのよね。

昔は薬もなかったから、そういうことを親はやっていましたよ。いわゆる「民間療法」。食事と一緒。「医食同源」だから、身体にいいねって。
ちょっと風邪気味だなぁとか、というときに、ニンニク酒や漬け酒を飲んでいた記憶が今も残ってる。
沖縄の人は皆んな、「食べるのは身体にいいよー」と勧めるのが口グセなのよ。これを「ぬちぐすい」と沖縄の言葉で言って、「命の薬」、身体にいいよ、ということね。食べるもの、口から入れるものはみんな薬、という考え方ね。だから「ぬちぐすい」という言葉はよく使う。
漬け酒も「ぬちぐすい」として家庭にあったから郷土料理じゃないですか。親がやっているのを見てきたし、それで育っている世代だからね。家庭料理だから、「教えてもらう」というより、自然にやろうと思って始めてた。

 ゆうなんぎい店主 辻野愛子さん

那覇市にある家庭料理の店『ゆうなんぎい』の店主、辻野愛子(つじのあいこ)さんに話を伺いました。旬の素材を使って薬用酒を30年間作り続けています。50年間、変わらぬ沖縄の味で地元民・観光客から人気を集めるお店です。

自然力、生命力を込めた”沖縄自家製薬用酒”

 約600年前に東南アジアから渡来した「焼酎」が琉球国産の酒・泡盛として生まれ変わり、現在も沖縄を代表する産業として継続しています。これは沖縄の風土にあった世界唯一の「黒麹菌」の力とも言えます。歴史の中で、琉球を訪れる中国、韓国、欧米の人々は口をそろえて泡盛の味、香りを礼賛します。幕末、ペリー提督も浦賀に行く前に琉球を訪れ「名酒、泡盛。まるでリキュールのようだ」と感嘆しています。

 日本唯一の亜熱帯地沖縄は一年を通じ、常緑の薬草が三百種以上もあります。琉球王国は直営の薬草園を持ち「医食同源」の文化を現在につないでいます。果実、薬草を泡盛につけると自然力、生命力をこめたリキュールが誕生することを昔の人々は体験で感じていました。

 「南へ行くほど女性はシッカリし、男性はユルクなる」と言われています。

沖縄では文字通り、神事、冠婚葬祭、年中行事は女性が仕切ります。女神たちが祈りを捧げる「聖域」は男子禁制でした。国王でさえ入ることは許されません。女性は「神酒」をつかい祖神と対話します。

 劇作家・プロデュース 亀島靖

沖縄の薬用酒について沖縄劇作家の亀島靖(かめしまやすし)先生のお話をご紹介しました。

亀島靖さん 1943年、那覇市に生まれる。平成4年沖縄県優良図書、平成14年琉球王朝ラジオドラマ。平成26年「琉球歴史の謎とロマン 女性編」発行など。

2021年6月 お家でできる薬用酒『リキューニング』が生まれました。

ガーデニングにヒントを得て、お酒を自分好みのものにデザインすることをリキューニングとイーノでは名付けました。

亜熱帯で育つ薬草などを泡盛につけて楽しむ、アルコール度数の高い島酒だからできる薬用酒です。

長く置けるだけではなく熟成が進んでよりおいしく、飲めば飲むほど心も体も元気に。お湯で割って寝る前に飲んだり、体を温めるために飲んだり、頑張った日のご褒美にも。「今日はどれを飲もうかな〜」といつもの日常とちょっと違う日常が楽しめます。美味しい飲み方、漬け方など気になることは私までお声かけください。

ウコンとカラキと長命草を自分で漬けて好みの薬用酒にできる『リキューニング』
①糖質ゼロ!
②成分をまるごと摂れる
③美味しく飲める
添加物・着色料・保存料全て不使用
ノンシュガー・ノンカフェイン

◆健康を楽しむ薬用酒『リキューニング』はこちらからもご注文できます。

e-no お客様担当&仕入れ担当・大城美佳
(おおしろみか)
Email:mika@e-no.com
1979年生,那覇市出身
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