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沖縄は太平洋戦争で、全ての歴史の記録、記憶が消えてしまった。そんな中、沖縄の過去を解きほぐす、そんな世界を夢見る一人の歴史作家がいる。
「民俗学の柳田國男も『日本の歴史や文化は、沖縄が原点となっている』という言い方をしています。日本史の再発見があるかもしれない。沖縄の人は宝の山の中にいてその価値を知らない。身の回りのものと歴史を結びつけ、難しい話はやわらかく、やわらかい話は面白く、面白い話は深く…そのようにお伝えしていきたいと思います」。
第一回 ウコン、その謎とロマン 劇作家 亀島 靖
「オーイ、宝船がついたぞー」
朝日をうけた那覇の港には、いましも3隻の「進貢船」が東南アジアから帰国したところでした。3,000名近くの人々が、国王尚巴志(しょうはし)とともに砂浜に集まり、サンシン、太鼓、ドラを打ち鳴らして歓迎の大祝宴が開かれていました。
時は1400年半ば、琉球国は戦乱が平定され統一王朝が誕生、日本国は足利幕府の頃、首里に王都を移した尚巴志王は、海外貿易の拡大に力を注いでいました。国相(大臣)の懐機(かいき)がタイ、ベトナムなどの南アジアから2年ぶりに帰国したところでした。進貢船は、当時、「宝船」と呼ばれ、海上では海賊の的になるほどでした。
歴史家・山里永吉は「現在、沖縄の伝統産業になっているものは、600年前、この船によって洪水のように琉球王国に移入されてきた」と述べています。その内容は、紅型、絣、紬などの織物、福木、ガジュマル、さとうきび、ウコン、泡盛のルーツであるラオロンなどの東南アジアの特産品や植物などでした。この中でも、「ウコン」は琉球歴史の中で、現在に至るまで貴重な存在としての役割を果たしています。
代表的なウコンの使用感、効能として、次の要素があります。
1、琉球、沖縄県民のな食材、医薬品(肝臓、皮膚病、胃腸他)
1、染色(紅型、織物の黄色染料)、貿易品(薩摩藩を通じて、日本全国への輸出)
ウコンがいつ、誰の手によって琉球にもたらされたかは、今でも「歴史上の謎」に包まれています。
考えられる要素としては、東南アジアと沖縄の高温多湿の亜熱帯気候、風土の類似性が沖縄に根付いた大きな要素であると思われます。ある意味では、琉球・沖縄にもたらされた自然神からの遺産といえます。
ウコンの未来を作る

私にとってウコンを育てることは、お母さんが子どもを育てるのと同じです。どんな植物でも、育つ環境が品質を大きく左右します。ウコンも例外ではありません。
大地の栄養をたっぷりと吸収するウコンは、同じ畑で連作はできません。肥沃な土地が広大にあり、ウコンに適した気候で栽培してはじめて、クルクミン含有量の豊富な秋ウコンを毎年、安定的に供給することができます。

同じ土地で育てていると畑の栄養が少なくなります。ウコンに必要な栄養をたくさん蓄えている新たな畑を使い、さらに肥料を加えていくこともあります。疲れた畑は有機肥料を入れて1年間休ませます。
植物にとって土壌・気候はとても大切、沖縄の風土は、ウコンに非常に適しているのです。沖縄では潮風によっても育つウコンの特徴は変わってきます。
ただし台風がきたり、土が硬かったりするのでウコンが育ちやすい環境づくりをするために私たちは色々と工夫します。植付時期やうねの幅や深さ、株間も含めて研究しています。収量は1ヘクタール当たり30〜40トン、これは、在来種より1〜2割多い量になります。高品質なウコンを安定した量で栽培、収穫すること、それが、沖縄の農業を守り育てることにもつながると思っています。


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