渡久山章先生の沖縄よもやま話 青い海・青い空の詩

青い海、青い空に囲まれた沖縄の原風景(写真の場所は座間味島)。

沖縄の海と白いハンケチ

山原(沖縄本島北部)をめざして那覇を発った観光バスは40分程で恩納村の入口、多幸山辺りに着く。そこに至るまでの風景は、ビル街と軍事基地だけしか見えなかったのが一変、エメラルドグリーンの海が眼に飛びこんでくる。「アッ」と息をのむ瞬間である。
そんなお客の心を知らず、バスはスピードを落とさない。お客の頭の中には「アッ」と驚いた海の青さが残ったまま。

そこから20分くらい走るとバスは、多幸山のようにやや高い所に差し掛かる。視界は180度広がった場所である。バスの運転手は心得たもので、180度に展開した沖縄の青とグリーンに色どられた海を見てもらいたいと、バスを停めた。
バスの窓越しに海を眺めていたお客の一人がバスを降り、海へ向かって歩き出した。海までは、けもの道を通って5分はかかるだろう。でもその人はスカートのまま降りて行った。

そうやって浜辺に着いたその人は、スカートを膝頭までからげ、海に入ってポケットから白いハンケチを出して、たらした。ハンケチが青く染まるのではないかと、ゆっくりとたらした。
白いハンケチは濡れただけであったが、お客の胸は感動に満ちた。

そんな海に加えて青い空を詠んだ詩がある。題は芭蕉布、作者は吉川安一さん。
「海の青さに空の青、南の風に緑葉の、芭蕉は情けに手を招く、常夏の島、わした島うちなー(私達の島沖縄)」で始まる詩。この詩はメロディーが付けられ、現在多くの人に歌われている。

芭蕉布は、バショウ科の糸芭蕉の繊維を織って作られる布。仲間の実芭蕉は、バナナの木のことを指す。

青について

さて、作者の吉川さんは、「青」について、思いを述べている(沖縄タイムス、1982年8月20日)。それには「私達の目を楽しませてくれる白・赤・黄・紫等の色彩も青い色彩の下だから、あんなにも鮮明に映えるのである。わたしたちをとりまく環境が青い色彩に包まれているからこそ、美が追及され、美術作品が生み出されるのだ。」と述べ、「青は人々が豊かで幸せな生活を営むうえで最も大事にしなければならない色彩だと考えている。」としている。
それゆえ、詩「芭蕉布」に青い海・青い空を入れたのは、「青」は平和を希求する色彩であることも、この歌謡に願いを込めた、と書いている。

青い空の詩

谷川俊太郎に、「晴れた日は」という詩があることをご存知の方は多いと思う。その詩の第一節は次の通りである。

 晴れた日は空を見よう、
 太郎も花子もジョンもマリーも、
 みんなおんなじ空を知ってる
 青い青い心のふるさと
 空はみんなをだいている

空は世界の人々皆を抱いている。谷川さんはその空は「青い青い心のふるさと」と言っている。
では、心のふるさと、とは何だろうか?それは、自分を見つめ、生きる意味を考えさせ、勇気を与えてくれるものではないか。
それで、人生で最も活気に溢れた時代を青年時代といい、青春時代と呼んでいるのではないか。吉川さんの言葉を借りると、「青」は、周りの色彩と呼応して、人をふるい立たせる色彩ではないかということである。
私達はその青い海に囲まれ、青い空に抱かれている。ありがたいことではないか。

渡久 山章(とくやま・あきら)先生
1943年生まれ、宮古島出身、琉球大学名誉教授。地球化学、環境化学を専門分野に海水の化学など数々の学術や論文で受賞する沖縄の水に関する専門家。

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